2009年05月15日

その2☆イタリアの町並み雑感

私たちは12時間かけて、シャルル・ド・ゴール空港(フランス)を経由して、フィレンツェのペレトラ空港へ。5/1夜発ちましたが、ちょうどよい頃合いの5/2の午前10時半に到着。しかし、乗り継ぎの際、飛行機にトラブルがあり、1時間ばかり待たされたせいで、予定より1時間も遅れていたのでした。

ホテルまで予約しておいたタクシーなんて、きっと待っていてはくれないだろう、、と思いきや、何と待っていてくれたので、感激。イタリアはチップ制を取っているというお国ですので、こういう時こそ、チップとは弾むものなのか???しかし、同行していた副社長(以降、副社)は、そんな古めかしく面倒ないやらしい習慣などどーでもよい、払わんでよい、という傾向。旅行中終始チップ制度にご不満でした。

まあ様々なイタリア観光ガイドブックにチップは支払いの何%とか細かく支払い法まで書いてありますが、、実際どうなんでしょう?各所であまりにまちまちで、旅中結局どうなっているのか、よくわかりませんでした。

で、イタリアに着いて気づいたのですが、自動販売機、そしてコンビニがありません!
代わりに? Barバールと呼ばれるスタンドコーヒー屋さん、カフェが至る所に、、飲食店は多いです。
ふと見つけたコンビニ風のお店に立ち寄って、500mlのペットボトルの飲み物を買おうとしたら、なんと4ユーロと。。おそらく、その店先にテーブル+椅子が出ていたので、そこで飲んだ場合の椅子代も入っているのか、とか、考えてみましたが。まあ4ユーロはそこだけでしたが、だいだいペットボトル一本、2、3ユーロは相場のようで。タバコも、タバコ屋さんで売っていて、自動販売機にはほとんどお目にかからず。

しかしね、日本なんてそこら中自動販売機だらけなわけだけど。。これがあれば、もう店は必要なく店員も必要ない、が、Barがひとつあれば、少なくとも2、3人はそこに雇用の機会が生まれる。そんなお店がズラッと建ち並んでいる、賑やかで陽気なイタリアのイメージがそこから生まれ出るわけです。

利便性を追求していくばかりでは、だんだん人間が要らない社会ができていって、、人ともやりとりも少なくなり、、無機質な町並みってのも、なんだかねェ。イタリアは、お店はそれぞれ個性豊かで、見ているだけでも感性が刺激される。チェーン店ぽい装飾のお店などはあまり見あたらず。店頭では店員と道行く顔なじみさんらしき人がおしゃべりしている光景が印象的でした。ジョルノ、ジョルノと声を掛け合っていたっけ。ボンジョルノ=こんにちは、グラッツィエ=ありがとう、のみ、滞在中使うのであった。

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ヴェッキオ橋を撮影。滞在中、アルノ川を何度が行き来している内に、イタリアっ子気分に。。
4ユーロのペプシ、、この道沿いならではの価格なのだろうか?


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こちらは、もうアルノ川沿いの「ウフィツィ美術館」の中から写しています。
待ち合わせ場所のように人がたむろしていました。
そう、12時間飛行機に乗り、その足でホテル→歩いてウフィツィ美術館へ!
お昼頃つきましたが、体力的にはかなりしんどかった。
副社は帯状ヘルペスから全回復しておらず、つらそうでしたが、まだ何とか歩けましたね。

本旅におきましての超目玉「ウフィツィ美術館」について、続きはまた!

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posted by ステラ・マリス・ナディア・オフィス at 22:28| Comment(0) | TrackBack(0) | タロット・イタリア紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月13日

その1☆芸術の都、花の都フィレンツェへ!

仕事が少ない、というのは、別の側面が豊かになることでもあり、時間のゆとりができた私たちナディア・オフィスの一行は、かねてからイタリア旅行の機会をうかがっていたこともあり、4月上旬、早急に手配を進めたのでした。
いつかはタロット発祥の地、イタリアへと、かれこれ数年思いを馳せておりましたが。。こんな不況が幸いするなんて。なーんて。ホント、経済的には苦しいですがね、でも時は金なり。たったの五日間の滞在でしたが、めいっぱい予定を詰め込み、五日以上の充実度を目指して、私たちは5/1夜、仕事を終えるとその足で成田へ旅立ったのでした。

目指すは、フィレンツェ。芸術の都。そう、タロットとは、まさにルネッサンス芸術の過渡期にうまれた絵札、当時の貴族達のたしなみであった芸術品のひとつなのです。最古のヴスコンティ版は、ミラノの公爵ヴィスコンティ一族のために作られておりますが、ヴィスコンティ家とは、由緒ある貴族ではありませんでした。彼らのお城も拝見してきましたが、フィレンツェで芸術家のパトロンをしていたメディチ家の華やかなお城とはうってかわって、戦国武将の武家屋敷のように鬱そうとしたものでした。甲冑などが多く展示されていて、そもそもお城自体、要塞として建設されたというので、なるほどとうなずけました。

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メディチ・ファミリーが住んでいたピッティ宮殿の中のボーボリ庭園
青い空!のどかなイタリアの午後を感じられました。

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ヴィスコンティ・スフォルツァのお城
中暗かったです。。日当たりが感じられず寒かった。
ドアや窓飾りなどが重々しく、ちょっと牢獄のような印象。
多く飾られていた絵もやはり今ひとつな、、
故に、レオナルドが呼ばれたのでしょう・・

後に、ヴィスコンティ・スフォルツァ家も、メディチ家に負けじと芸術家たちを庇護しだします。そして制作されたのがあのレオナルドの「最後の晩餐」。ロドヴィゴ・スフォルツァ・イル・モーロが彼の奥さんと娘さんのために、作らせたという教会の食堂に飾られているあの絵です。

そんなこんなで、タロットという絵札を知るため、私たちはまず、ルネッサンス芸術発祥の地へ。そしてミラノのタロット屋さんを回って、「最後の晩餐」を観よう、いうことになったのでした。


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posted by ステラ・マリス・ナディア・オフィス at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | タロット・イタリア紀行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする