『タロットマスターズワールド』のリニューアルということもあり、
タロットの原点に立ち返って、今回は「エジプシャン・タロット」を取り上げています。
もちろん原点=基点、ものごとの出発点ですから、また人によって色々な思いを抱かれることでしょう。
が、何もここへきて「タロット・エジプト起源説」を特集しようなどとは毛頭。
シンプルに「アート」の原点に立ち返ってみた次第です。
おおよそ「絵は鑑賞するためのもの」だと疑う余地もなかった時分より、タロット・カードのまず絵柄に引きつけられ、この絵の力は一体何なのだろう? という思いのままに歩んでいきたナディアでした。
会員の皆様も、日々絵の持っている力や絵を解する心というものに、折に触れお感じ入られているものがあるかと存じております。
当たり前のことですが、絵が描かれていないタロットなどというものはあり得ません。
タロットに触れ、感じ、論じる時にはもう自ずと「アート」の世界に入り込んでいるものです。
どうぞ、お手元にNO.17が届くのを少々、お待ち下さいませ。
(ごめんなさい、NO.16が止まり過ぎて、やむをえずいったんこちらを飛び越えるという策に出ました)
そうしまして、ナディア・オフィスはワンオペ。一気に何十もの発送物を取り扱うのは無理がございまして、あいすみません。
ここにいつぞやの資料を。NO.17にも記してあります。
まずここを抑えてから、ご購読いただくとよろしいかもしれません。
にしても、何なんでしょうね「タロット・エジプト起源説」って。
だって、普通に考えて、紀元前数千年にさかのぼって、古代人がパピルス紙でもってタロットやっていたとか、あり得ないわけでしょう。縄文時代だってあり得ない。小中学生だって解るでしょう。
まあ確かに古代エジプトには、書物に絵を描く、建物の内部に絵を描くという技術を持ち合わせてはおりましたが、またやはり呪術・まじないの風習もございましたが、だからこそなのですが、そういう断片的に残されている史料の類から、「タロットカード」に相当するなにがしかを見出そうとすること自体が荒唐無稽といいますでしょうか。
ジェブランが何と言ったかで、そこで振り回される必要はないはず。。
獣骨占いなんかは古代ギリシア・ローマで見られましたけどね。
また、形はどうあれ、古代エジプトに根付いていた神の存在、魂不滅の思想といった観念的なものは、確かにアルカナの中に見受けられますけどね。
まあだから、ジェブランが決してとんちんかんなわけでもなく。
一連のタロット、特に22のメジャー・アルカナに描かれているものは一体何なのか? という思想というか観念的なものについては、古代エジプトのそれと合致していることもまた事実なのです。。ですよね?
アルカナを通して2回も、アルカナ13、20で黄泉がえり、再び命を得ることを、永遠に生きる術があることを、わたしたちは知るわけですから。
天空を、太陽を、月の光を感じながら生きることを、多くの絵札には様々な光のサインが描かれ、そこに何を見出せるか、教えられるわけですから。
マルセイユ版もウェイト版も、あきらかにエジプト人は描かれていませんが、伝えたいことは多く「精神性」であって、古代のエジプト人が確かに大事にしていたそれなのです。
ジェブランも言い方は問題だったけれども、そういうことを、伝えたかったのだと、わたしは思っていますが。
だからやっぱり多くの人がそこに乗っかった。いいねいいねーって、わっとフランス人たちが活躍期に入ったということではないでしょうかね。
オカルティストたちの誰もタロットがエジプト伝来だなんて思っていなかったでしょうよ。
そんなことより、彼らはひたすらカバラ、ヘブライ文字、数と神秘のロジックに、その謎解きに明け暮れていた。
今まであまりポール・クリスチャンに触れてこなかった。これには申し訳ございません。
またの名をJean-Baptiste Pitois(ジーン・バプティスト・ピトワ)。スカラベオ社のエジプシャン・タロットの参考文献著者として、商品名とともに名を連ねてはいたのですが。
NO.17に今調べられるだけのことを。そしてこれからも。
そしてパピュ、ウェイト、現代アート・タロットへとつなげていきたい所存です。
HPリニュアル、本当時間かかってしまってすみません。ようやく素材はすべてそろえて提出したのですが。まあ制作会社さんにもご都合がおありということで。しばし、お待ち下さいませ。