






枯れた花も被写体としては好きだと仰られていました。
流石に、写真の個展を開かれることもある方の、お写真。
会うといつも「タロットやってます、一枚引きか三角形で毎日のことを見ています」と。
今日も易道学校の忘年会で、協会の会員の方と久々にお会いして、
「毎日一枚引きやってますよ!」とお声かけ頂き、Kさんのお姿がだぶりました。
Kさんとわたしははほぼ同い年で。
あれからお仕事を変わられ、少し生活は楽になられただろうか。
また新しい企画に参加して頂けるかな。
連絡してみようと、思っていたこの頃。
お亡くなりなったのは少し前の9月。
そう言えばこの秋は、自殺願望、人の命が話題になる、連続事件があった。
事件より何より、生とか死とか偉そうに語る人間が、わたしはどうも。
しょせんは誰もが動物殺して、植物殺して、殺しながら生きてるわけでしょう。そこをスルーして精神論だけ語られてもな。同様に、命を粗末にする人間もな。どんな命でもだ。
たぶん、自分がいつか死ぬということなど、夢のまた夢なんだろう、そんな輩は。
そういう人間に、それこそ不幸を見ます。本質的な哀れというか、救いのなさを。
かく言うわたしも結局は集中治療室で命を落としかけた人間で、そもそも救いのない人間だったわけで。
やっぱり生還した後は、違うわけですよ。
ただ生きている感じがなくなり、生きているとそれを感じる時に必ずコインの裏表のように死の恐怖がつきまとうんだな。明日死んでもいいという生き方しか、できないような。
限りある命と知った時から、Kさんにとって生きると言うことの意味が、それより前とは、
確実に変わったのではなかったろうか。ぼーっと生きていることなど、なくなったはず。
常にカマを持った死神が背後に控えているわけですから。
その分、スパッと決断もできたことでしょう。
これは要らない、これは優先と、自分にとって大切な人やものに囲まれて、確実に、自分の人生を、生きられたのではないかしら。
もうKさんがこの世に存在していないことがまだ受け入れらない感じではありますが。
多大なるご協力に心から感謝申し上げ、病を背負いながら懸命に、また人に寛容であられた生き方に敬意を込めて。
井上
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