この週末を、皆さんどんな思いで過ごされたでしょう。いつも通りの人も、被災地関係のことで忙しかった方も、3.11‥東日本大地震のあの日を思い起こさなかった人は居ないでしょう。
あの日井上は奇しくも易道学校で授業中でした。電車も店も動かなくなって、理事長さんのご自宅に泊めて頂いたこと、深夜2時を回って車で迎えに来てくれた夫、学校を出たところで新宿駅までどうやって歩いて行けるのか外国人の方に聞かれて「線路沿いに」としか答えることができなかったこと、川口の自宅に朝日が昇る頃に着いたこと、無邪気に駆け寄ってきてくれた愛犬のこと、、思い出しても、自宅も今は違う場所、愛犬も他界して、時間の経過の早いこと、長いことを思い知らされます。でもきっと死ぬまでずっとこの日は特別な日であり続けるでしょう。
被災され、今もその痛手を背負っている方にも、またそうでない人にも、「がんばっていてくれて、ありがとう」と伝えたい。そう本当に、今がんばっている人たちすべてに。だから、わたしもがんばれる。変な考え方と思われるでしょうが、、
わたしは辛い時、わたしががんばる姿を見て、やっぱりがんばれる人が居るかもしれないと、思ってがんばります。
「何でこんな目に私が遭わないといけないの?」そんな風に苦しみ耐えている人たちにも、変な考え方かもしれないけれど、そういう人がやっぱり社会には必要なんだと、そういう考え方も、今一度してみて欲しいと思います。その辛さを経験し、その苦しい状況を乗り越えることができたという人を、この世界が必要としているんだと。辛いこと、苦しいこと、悲しい出来事、生きているとたくさんたくさん巡りくるものです。それは決して懲罰ではないのね、あなたも誰もわるくはないのです。
いじめにしてもね、いじめる人ってもう必然に見えます。必要あっていじめている。ある専門家が「いじめっこの心の闇のほうが根深く深刻だ」と。。まさにね。
人間誰しも、満たされて幸せいっぱいいっぱい、心もお腹も満たされていっぱいなら、いじめなんか、しないでしょう。どんな生き物だって、今日明日の心配なく何の危機感もないのなら、誰も何も傷つけやしません。
辛くて苦しくて悲しくて、、心が病むほどに。だからいじめてしまう。
大事なことは、その不幸の連鎖に巻き込まれないことだと、わたしは教えられました。
幸せの連鎖を、つなげる人間でありたい。
幸せって人それぞれだけど、「笑顔でいられる」ことなんじゃないかな。
こんなブログですが、笑顔になって頂ければ、、わたしも少し幸せです♪
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