第2話)わたしは幸せor不幸せ?必要不幸という存在について
アップしております。
こちらは、もう十数年も前に頂いたご相談をもとに。
先日の、「津久井やまゆり園」で起きた障害者施設事件を機に、書かずにいられなかったところがあり、掲載順序が前後して申し訳ございません。
余談ながら、タロット象徴事典のアルカナ太陽の項に「五体満足であるという幸せ」という文言がある。
今回の短編の中では、そのアルカナに端を発して「五体満足ならシアワセ、そうでないのがフシアワセだとしたら、世界中の障害者の方はまるで必要悪ならぬ、必要不幸とでもいうのかしらね?」
と主人公が発言する。
と主人公が発言する。
障害者施設殺傷事件で初期段階に報じられた内容で、犯人が『障害者がこの世からいなくなればいい』旨の発言があったことがいまだに衝撃的で。「障害者に安楽死を」という解釈も後々なされていたよう。
わたし自身は「社会で何も役に立てない人間は生きていている資格がない」という意味に解釈していて。
では子どもを産ま(め)ない女性も不価値ですか同罪ですかと、ゆえに生きている意味や結婚の資格等否定されたときのことなどフラッシュバックしたこともあり。
何であれ条件つけて、お前なんか生きている価値ねーよとか、みんな結構フツーに言うじゃないですか。事件加害者の批判・非難はやめたほうがいい。
現実、一定時期まで重度の精神障害者の方が座敷牢で一生を終えていたという、そういう社会だったのでね、この日本という国は。
介護を苦にした家族間殺人だって増えているでしょう。
自分の中で、事件はもとより、障害というものは、重い、深い、問題となっている。
健常者と障害者の違いなんて、あるのかな。太陽も月も、みんなもっているじゃない。いやもう一億総サイコパス化してるでしょうが。
短編のきっかけをくれたのは、当時館に通ってくれていたSちゃん、わたしのことはナディアセンセだったりナディアちゃんだったりとざっくばらんに呼び合う間柄でした。
今どうしているだろう。お幸せで、ありますように。幸せというのは、条件でなるものじゃない。
本当に心からその人が幸福感を実感することが、幸せなんですよね。
Sちゃんに、心から感謝を込めて。よく盛り上がっていたこの曲を。
なんかねーこういうの聴いていると嫌がられることあるんだけど、楽器もアレンジもめちゃめちゃハイレベルですよ。わからないのはただの耳悪。
歌詞はまさしく『月』のイメージ。わからないのはただの鈍。DAHLIAのHもNAHDIAにもらった!
でばでば一週間がんば。ちょっと色々ずれこんでいるけど追いつけますように!
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