2007年06月04日

理解ある鑑定師として

少し前のことになるが、福島県会津若松市で切断した母親の頭部を持ち自首した県立高校3年の男子生徒(17)が殺人容疑で逮捕された事件についてのその2でもある。これを狂気と呼ぶなかれと言う話題は先回の日記ですが。ご理解いただけることが少ないようで。

しかし、起源前後あたりのヨーロッパ諸地域には、首切り族とも言える人種が存在しているし、日本人だって戦国武将の行為にも見られるように首を切るのが好きな人種として、史上もっとも「首切り」をしてきた人種として語られているのが現実だ。

今でさえ、文化人、文明人と化した私達は、当たり前のように服を着て化粧をして、ナイフとフォークで食事をしたりするが、時代を遡れば、手づかみでものを喰らい、生きるために殺し合いを、殺戮を繰り返してきた、そんな生き物である私達なんです。

愛と憎しみという等価性のある感情を強く持った家族に対して、心理的に深く傷が入って、たががはずれたかのように理性のガードが取っ払われた時に、多分、人は人を殺せるんだと思う。本能的な性の命ずるままに、太古の人の残虐性が彼をその加害少年そうさせたんではないかな。
だから、その加害少年を、私は狂人だとは、思わない。

別に、狂人だと、異常だと、思う人がいるのはそれでいいことだが、ただひとつ言えることは、彼を理解できないと、するつもりもないよという人には、彼を救ったり、更正させることなどは不可能でしょう。


人のご相談に乗るということは、助けを求められたり、どうしたら良いのかとアドバイスを求められたりするということで、当たり前のことだが、相談者たる相手を理解することができなければ、求められるものを、提供することは、できないのだ。

占い鑑定師に必要なことは、占いをして、解釈をしてアドバイスをすること以前に、相手を理解しようとすることがまず求められる。そういう仕事を生業にしているのだったら、社会的な問題、事象に対して、何故そうなのか、どうしてそうなる必要があったのか、理解しようとする姿勢を常に持つべきと、私自身は独断と偏見で思っている。

ちょっと最近、実践鑑定の授業などでは、そういう相談者、質問者に対して、まず彼らを理解しようという姿勢がかなり欠けてしまっているようで、正直先週の木曜日は落胆した。

しかしそんな風にセミナーの受講生を導いてしまったのは、、導き手のせいなのかもしれない。

自分に、相談者、質問者を理解しようという姿勢が、足りなかったのかもしれない。

気心の知れた生徒さんたちと少人数で半ば「楽しく」授業をしてきてしまったところに問題があったのかもしれません。方法を見つめ直さなければ、というところです。0
posted by ステラ・マリス・ナディア・オフィス at 09:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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