井上です、先回のタロット講座後記の続編をここに。人間の尊厳といったテーマで、人の命の尊さが取り扱われる昨今、尊厳死というテーマで「死の選択」について議論がなされることも増えてきました。アルカナ「力」の授業後、これに関連する事態が起こるのでした。
私ごとではありますが、8/9土曜日、心臓を患っているワンコの通院で、ちょっと今日はもう危ないのではと医師から言われ、一晩いっしょに過ごしていたところの22時40分頃、いよいよワンコが倒れ、嘔吐(肺に溜まっていた水)、大きくけいれんし始め、これはもう最期だと、家族を大声で呼ぶに至りました。集まった家族に見守れながら、ワンコは何度もけいれんを繰り返して、しばしば四肢をぐんとつっぱったり、またさらに嘔吐したりとまさにのたうち回るという感じ。その間目を大きく見開いてというかひんむいて、もう眼球が飛び出しそうなくらい。抱きかかえてただ声をかけるしかない、その様相をただ見ているしかない自分がちょっとおかしいのではという感覚にとらわれた。すなわち、苦しがっている者を楽にしてやるべきなのではという。
ワンコの全身の動きが止まって、口から舌がだらんと出てきても、少しするとまた四肢が動きだすことが繰り返され、心臓の鼓動はもう感じられないと言っておきながら、改めてよくよく触ってみるホントにわずかにかすかに動いているので「いやまだ死んでいない」と取り消すこと数回・・・もう夜間救急を探し当て安楽死をさせてもらうしかないと、家族に携帯に飛びついてもらう始末に。
家族も見ていられないと、探し当てた夜間救急の病院は安楽死は行っていないが、眠る薬を打ってあげましょうと。がしかし、その医院まで距離にして車で1時間はあり、1時間はもたないのではと思案しながらワンコをタオルでくるみキルトの布バスケットに入れて移動しようとしたところ、ワンコの全身がブルブルブルと強く震えだし、ああこれが本当に最期かもと、5分ぐらい待って、まったく微塵も動かなくなった心臓を確認するに至ったのは、23時20分頃だった。倒れた時点から40〜50分経過していた。自分としては、せいぜい20分ぐらいのことだったかのよう。
もともとワンコは弁がこわれた心臓が機能せず、心臓にも肺にも水分や血液が滞留してこぶ状のものができていたり、心臓自体が肥大して身体に触れれば心雑音が手で感じられるほどになっていて、5月終わり頃から闘病生活に入っていた、そんな小型犬の最期でした。
最初からイタチゴッコだとわかっていた。薬をどんどん強くしていいって、効かなくなったところが最期だという、安楽死もありという。
が、「正しい答えなんてない」のは、人生の他の多くの事柄同様。
人間の尊厳=命を守ることだという考え方には、立ち止まるなにがしかの必要を感じさせられるのです。
時には、死の選択が愛情表現であったり、何者であれ尊厳を守るための死、というものもやはりあるはずで。
私のこの10年と8か月を全面的に支えてくれたのは一匹のこの愛犬でした。どんなに深い傷も打撃も、この犬が埋め合わせてくれたから、ここまでやって来られました。
タロット象徴事典のアルカナ「力」の項目には、ことさらに力が入っているのですが、わが愛犬の噛み癖に悩み、師事させて頂いたドッグトレーナーさんに教授していただいたことの受け売り多々です。動物の権勢本能、服従本能云々、、

古来より人間の伴侶とされてきた犬、アルカナの中では「愚者」に見られるのは周知のこと。
「タロット象徴事典」の著者が最初にその原稿を国書刊行会に売り込みに持っていく際に、引いたアルカナに「愚者」が出て、当たって砕けろの指針に基づきアタックしたという件を知る人も多いでしょう。
ウェイト版には、獅子、犬、馬・・・象徴的に動物が多く取り入れられています。人間が生きる上で不可欠な存在だから。人はひとりでは生きていけないとよく言われますが、人間だけでも、生きていけなことを思い知る必要があるでしょう。ペットというよりは、自分に欠けているものを補い、人間とは異なるコミュニケーションで様々な学びの機会を与えてくれるソウルメイトを、小動物であれ植物であれ、みんなさん大切にしていきませんか?
私の全活動を全身で支えてくれたユピテル、心からありがとう。2014-08-09 23:20永眠
