2010年05月25日

出ている絵柄に意味がある・・日本易道学校へのお誘い

出ている絵柄に意味がある
訳文完了。これは、できたてのほやほや、ナディア・オフィス刊「ジーン・ドダルのタロット 付属解説書の和訳」の邦題です。今さっきできあがったばかりで、いよいよドダルのタロット、ナディア・オフィスからNEWリリース☆

日本易道学校で、今週からスタートするタロット基礎科の一年間も、この精神にあやかり、内容構成、進行させていただければと! 
タロットが、ウェイト版が、何故人を魅了し、これだけ多くの人の役に立っているのか、、という主旨で。
ドダルのタロットとは、中世ヨーロッパのキリスト教会による支配や専制政治に挑戦して作られたもので、最古と言われるノブレのタロットをバージョンアップさせたデッキです。

フランスでは、1701年に税法の改正がありました。彫刻作品に使用する版について、政府が税金を徴収するため、商人であるカードメイカーに対して、それまでの古い版の使用を禁止し、新しい版を使用しなければならないというおふれを出したのです。この時、マスターメイカー(親方)であったドダルは、信頼のおけるギルドに属していたジャック・メルメに依頼して、これまでのマルセイユ版の版木の細部に渡って伝統を踏襲した新しい版木を彫ってもらいました。そうしてできあがったのが、ドダルのマルセイユ版(1701年)なのです。
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メルメもまた、優秀な彫刻家であり、マスターでした。当時のマルセイユ版には親方からしか伝えてもらえない数々の秘密が、絵柄一枚一枚に丹念に細かく彫刻されていたのでした。

ところが、メルメの息子がいかんかったという。息子のクロードは、親方の腕に達することはなく、彫りもいい加減だったと。さらにいかんかったのが、後の1930年のグリモー社の社長が経費をけちって、手元にあった古いいい加減なおそらくクロード・メルメのような彫刻家が手にかけた版木を作って、まことしやかに「いにしえのマルセイユ版」と銘打ったブザンソン版の亜種のようなタロットを売り出してしまったことだと。。以来数百年に渡って、グリモーのマルセイユ版神話が世にはびこってしまったそうだ。

ウェイト版批判も、数行、解説書には載っていますが、、確かに、ウェイト版はマルセイユ版の伝統とする中世ヨーロッパの社会構造に見られる「フラタニティ」の精神性など受け継いでいない。それが批判の対象になるなら、甘んじて受けるしかありません。

デッキに託されている精神性が何であろうと、私はタロットが好きだ。どのタロットも、おおかた世に出ているほとんどのタロットが好きで、それぞれの魅力を楽しんでいる。

どの版であれバージョンであれ、タロットが絵札であることには変わりありません。タロットの絵柄の代わりに、解釈が文字で書かれてたら、それはもうタロットではなくなります。
だけど、タロットを勉強しに来られる方は、すぐに文字のほうへ行ってしまう。意味を考えて、正しいのかまちがっているのかと頭を悩ませ、時には結局どうなのかと詰め寄ってくる。解釈、どう読むか、リーディング法、カウンセリング法云々、、

今回、ドダルのタロットの解説書の訳文を完成させる中で、改めて重要なことは、この絵であり、色であり、形であり、数字であるということの重要性を認識して、少し嬉しくもありました。多くタロット講座やお教室がある中で、易道学校の井上の売りはこの「絵の力を受ける力」にあるからです。向こう一年続く講座においては、たっぷりとタロットという絵札の鑑賞法を伝授させていただきたいと。

絵は絵であって、文書ではありませんから、文字を読み解こうとするような姿勢から、絵に向き合う姿勢への切り替え方であるとか。絵を鑑賞するにもルールがあります。画家は好き勝手自由気ままに、塗り絵をしているわけではないのです。
色、形、構図、人物の動き、すべてがメッセージなのです。

そうかと言って、絵に関するルールというのは、何ら学術的なものではありません。
それは単純でシンプルで、自然界に見られる法則とまったく同じなのです。

ドダルの解説書にはこうあります。

何がどんな色に染められているのか、その色に注目しなさい。

丘に立つように、数の上に立ちなさい。


空の青、血液の赤、五月の新緑、太陽の光線はハチミツ色だとか、琥珀色だとか言われることがありますが、そんな色をしたトパーズが、「太陽神」を象徴するものであったこととか。

茶色い犬、白い犬はいるけれど、何故青い犬っていないの?そんな疑問を持ったことがありませんか?
身の回りを、世間を見渡して、そういうひとつひとつについて、答えを出していけばよいのです。

色はことさらに重要で、日常的にも、色は口ほどによく物語る。
顔色ひとつで、気持ちが伝わるものですね。

だからタロットは人の気持ちに訴えかけてくる。
私たち人間、ひとりひとりまったく違う存在だけれども、同じ人間として、「心」の部分はさほど変わらなかったりもするでしょう。絵札を通して、人の「心」を学ぶのが、タロット学習とも言えるのです。
だから、ある程度絵札に精通すれば、「当たる」ようにもなってくる。こんなの、誰だってできることなんです。予知能力でも、透視でもありません。特別な力なんかじゃないんです。

占い師は神なんかじゃないですし、はずすことだった大いにあるでしょう。学校に来られる方は、「できるだけ当てられるように、はずさないようになるには」といった、現場で生かせる率先力を身につけたいという方もおられるでしょう。もちろんそういうお声にも対応させていただきたと思います。繰り返しますが、これは特別な能力云々の世界ではないから。はずしてしまう時には、某かその人なりのファクターが必ずあるように思います。

 
ドダルの解説書にもあります。

問題は、私たちにこの比喩的な図像を、直接的に理解できないことです。なぜなら、これが、私たちの知性に向けられたものではなく、むしろ、私たちの無意識に向けられたものだからです。ですから、我欲を遠ざけ、それによる障害を避けなければなりません。そうでなければ、これらの図像を見て、私たちは、答えを分析、整理し、操作をでっち上げ、私たちの先入観を中心として伝説を築こうとし、可能性に限界を負わせようと試みることでしょう。


先日私も、教室のみんなの中で、ある方の病気について占断を求められ、その人が繰り出した78枚中3枚のタロットの出目で無謀にも占断を行い、結局はずしました。みんなの前で「当てなきゃ」という欲目、いいかっこしたい思い、でも医者でもない人間が病気に触れてはいけないという葛藤、色々な思いの中で、3枚の札を解釈したわけです。これはまさに反面教師だ。もう占断に及ぶ時点で、いかんかったね。

だけどね、きれい事言ったって、人間てみんな欲はあるし、どちらかと言えばいいかっこしたいし、一発当てたいと思うものでしょう。あまりにも精神性、スピリチュアリティのほうへ偏ると、実践的に使えなくなるタロットです。

だから心と言わず、人間の「本質」と言いましょうか。えてして日ごろ目をそむけようと、無意識のうちにしている本質に、あえて向き合おうとする作業も学習の内。本質的なことはそっちのけで、上っ面で解釈すれば当たり前のようにタロットははずれるということを、多くの人は体験しているでしょう。この札が出たらこう解釈する、なんて紋切り型の回答をすることがそのいい例で。また、タロットになれてくると、その人特有のクセとかパターンにはまって、それが意識にフィルターをかけるという現象も起こりがち。慣れれば慣れるほど、タロットの扱いには、慎重にならなければならない。

自分は易道学校に勤め、7年目になります。相変わらず前に出てしゃべるのは苦手で、みんなさんといっしょに色々意見交換しながらやってきたいタイプです。中学一年生のつもりで、地に足を着けて、みんなとタロットを学習していきたいと思っています。
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posted by ステラ・マリス・ナディア・オフィス at 18:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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