2009年08月05日

小宇宙に学ぶ

昨日の夜、ベランダにセミが落ちて仰向けに。身動きしないものだから、てっきり命尽きてしまったのねと思い。取り敢えず忙しかったので放置。
今朝、うちのワンコが見つけないうちにと、セミの亡きがらをどこかへ移動すべく手に取ると、、なんとビビビと動きだして、手の中からビーンと飛び立っていったではないか。いやビックリしたのなんのって、、生きていたのだ、、あんなに元気があるのに、起きあがることができなかったのだ。昆虫は、仰向けになってしまうと、決して自分で起きあがることはできない、、まれにバタバタしている内に起きあがれることもあるのかもしれないが、、今日のこのセミの元気というか勢いがあったにも関わらず、一晩中起きあがれなかったということは、これは事実で。

そういう昆虫の生態に無知だったあまり、結局、セミを12時間以上仰向けのまま、放置してしまった自分自身も悔やまれる。申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、、セミの一生、7年地下で過ごし、成虫になってから地上に出るがその命は一週間だけだと、確か記憶している。一週間の内の、12時間を、一体どんな気持ちで過ごしていたのだろう、、セミが思考しないことなど言うまでもないが、感覚はあるでしょう。あちこち移動して、セミなりに出会いがあって、子孫を残すなり、セミなりのドラマがあるでしょう。セミはセミという一個の小宇宙だ。また擬人化が始まったと、周囲はよそよそしくなっているようだが、私にとっては、このセミの一件は一大事なのだ。

上なるものは下なるもののごとし。自分も今、ひっくりかえってジタバタあがいているのかもしれないな。人間、それぞれ能力があって、それは逆立ちしたってムリだという慣用句にも通じているんだろうが、土台無理なことがあるものだ、誰にだって。しかしな、時間を無駄にしているという意識がない限りは、命ある限り挑戦し続けたいし、挑戦する自由が私にはあるとも考える。セミのように、無心で鳴き続けても、いいじゃないかと。人間はねェ、とかく老後の貯金のことなど考えたがる生き物だが。

私は羽のはえた昆虫類が意外と好きだ。トンボ、テントウムシ、アゲハ蝶、この辺では結構見られる。昼も夜も夏虫の声が絶えない今日この頃だ。彼らの存在とは、一生とは何なんだろう。この美しさ、羽の模様は一体何でこのようあるのだろう。夏は、昆虫や植物や野菜の成長から何かと考えさせられる。みんなみんな、対して人間と変わらないじゃないかと。理屈をこねたって、ただ毎日汗だくになって生きていくしかないんではないか。汗をかくのは人間だけだが。多くの動物には汗腺がないからね。

この暑いのに毛皮着ててかわいそうとか言って、犬の毛を刈っちゃう人がいるけど、そういう擬人化は止めましょう。犬の被毛は紫外線や照り返しから犬の皮膚を守ってくれているんだそうですよ。

書籍はいつ刊行されるのかと、何で何度も聞いてくるのか。セミ以上にうるさいわ。五百頁もある大作を、原稿がし上がったからって半年やそこらで製本化できるかと。そんな暇人じゃありませんので。0
posted by ステラ・マリス・ナディア・オフィス at 17:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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