いつかはタロット発祥の地、イタリアへと、かれこれ数年思いを馳せておりましたが。。こんな不況が幸いするなんて。なーんて。ホント、経済的には苦しいですがね、でも時は金なり。たったの五日間の滞在でしたが、めいっぱい予定を詰め込み、五日以上の充実度を目指して、私たちは5/1夜、仕事を終えるとその足で成田へ旅立ったのでした。
目指すは、フィレンツェ。芸術の都。そう、タロットとは、まさにルネッサンス芸術の過渡期にうまれた絵札、当時の貴族達のたしなみであった芸術品のひとつなのです。最古のヴスコンティ版は、ミラノの公爵ヴィスコンティ一族のために作られておりますが、ヴィスコンティ家とは、由緒ある貴族ではありませんでした。彼らのお城も拝見してきましたが、フィレンツェで芸術家のパトロンをしていたメディチ家の華やかなお城とはうってかわって、戦国武将の武家屋敷のように鬱そうとしたものでした。甲冑などが多く展示されていて、そもそもお城自体、要塞として建設されたというので、なるほどとうなずけました。
メディチ・ファミリーが住んでいたピッティ宮殿の中のボーボリ庭園
青い空!のどかなイタリアの午後を感じられました。
ヴィスコンティ・スフォルツァのお城
中暗かったです。。日当たりが感じられず寒かった。
ドアや窓飾りなどが重々しく、ちょっと牢獄のような印象。
多く飾られていた絵もやはり今ひとつな、、
故に、レオナルドが呼ばれたのでしょう・・
後に、ヴィスコンティ・スフォルツァ家も、メディチ家に負けじと芸術家たちを庇護しだします。そして制作されたのがあのレオナルドの「最後の晩餐」。ロドヴィゴ・スフォルツァ・イル・モーロが彼の奥さんと娘さんのために、作らせたという教会の食堂に飾られているあの絵です。
そんなこんなで、タロットという絵札を知るため、私たちはまず、ルネッサンス芸術発祥の地へ。そしてミラノのタロット屋さんを回って、「最後の晩餐」を観よう、いうことになったのでした。
続く0
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